誰かに教えたくなる蔵物語

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誰かに教えたくなる蔵物語

創業は明治40年。しかし、当初から球磨焼酎の蔵だった訳ではありません。かつては味噌と醤油の醸造蔵でした。まだ交通網も発達しておらず、人の交流も少なかったころ、人吉盆地は〝陸の孤島〟と呼ばれ、食糧の多くを自給自足でまかなっていました。味噌や醤油は日本の食卓に欠かせない調味料。当時の屋号は「堤商店」でした。濃い口醤油の銘柄は「金」だったそう。球磨地方の台所にとって堤商店の味噌や醤油はまさにに等しい価値があったことでしょう。
 
やがて道路の整備が進み、流通が盛んになると、球磨地方にも大手の商品が進出。徐々にブランド力の強い大手に押され、「金」の販売は減少の一途をたどります。そこで目を付けたのが焼酎です。焼酎は味噌、醤油と同じく麹菌の発酵によりできあがります。味噌発酵の技術をいかし、大正元(1912)年に球磨焼酎「房の露」の製造がスタート。想像ですが、当時の焼酎は常圧蒸留で深いコクと香りが強かったことでしょう。
 
現在のブランド「吟醸 房の露」は酒造好適米に黄麹を付け、日本酒用の酵母を使い減圧蒸留でつくりあげています。口に含むと、まるで日本酒のような風合い。房の露は濃厚な味噌・醤油に端を発し、今では淡麗な球磨焼酎を生み出しています。味噌の機械があった場所には、焼酎を熟成させる樽が並び、今は往時の面影は残っていないそうです。

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